「心に残るプレゼント」
2022年度受賞作品紹介


あなたの「心に残る」プレゼントはなんですか?
株式会社ハピネス・アンド・ディでは、今年もプレゼントにまつわるストーリーを募集いたしました。
第3回となった今回もみなさまからたくさんのご応募をいただき、数々の心温まるエピソードが集まりました。
その中からよりすぐりの「心に残るプレゼント」ストーリーをご紹介します。

ジュエリー賞

ペンネーム:橘 静樹さん

-連なる思い出と真珠-

勤労感謝の日には夫と2人で水族館に行く。

それが30歳で結婚し、今の住所に家を建て、夫が60歳で定年になるまで繰り返した我が家の恒例行事だった。

きっかけは単純なもので、結婚した最初の年に近くだからとたまたま遊びに行った時、その水族館では真珠の取り出し体験をやっていた。
それぞれ好きなアコヤ貝を選び、ナイフを使って真珠を取り出す。それが勤労感謝の日で、繰り返すうちに恒例になったのである。

ただ私にとっては、貝から真珠を取り出す作業は大好きな時間だった。
どんな色で、どんな模様で、どんな輝きを持った真珠が出てくるのか。
私の過ごした一年間が、貝が開いた瞬間に評価されるみたいでわくわくした。
毎年同じ真珠ではなかったのも飽きなかった要因だろう。
すごくきれいな年もあったし、不格好な形や、キズが付いている年もあった。
けれど、思い返してみれば、その時の私自身の気持ちで見え方が違っていた気がする。
子育てで悩んでいる年や、夫と喧嘩していた年はただの安物にしか見えなかったのに、子どもが受験で合格した年や、夫との銀婚式の年なんかは、世界に一つだけの大切な宝石に思えた。

取り出した真珠は、毎年夫に預けていた。
「僕は6月生まれだから真珠が好きなんだ」とか、「誕生石だからお守りとして持っていたいんだ」とか言っていたと思う。
私は同じ家に住んでいるのだから、どっちが持っていても関係ないと思っていたのだけれど…

それから時は過ぎ、夫は勤め先を60歳で退職した結婚30年目のクリスマスに、私に突然プレゼントを渡してきた。
結婚してからクリスマスにプレゼントをもらったことはなかったと思う。

包みを外して箱をあけると、ネックレスが入っていた。
色も形もばらばらだけど、これが何かはひと目で分かる真珠のネックレス。
毎年2個ずつ増えて、60個になったからネックレスにしたそうだ。
後で知ったことだが、結婚30周年を真珠婚と言うらしい。
夫がそこまで知っていたとは思えないけれど…。
ひと粒ごとに大きさも輝きもまちまちな真珠のネックレスが、紆余曲折ありながらも2人で過ごした30年間をそのまま表している気がした。

それから、年が明けるとすぐ夫は体調を崩し、あっという間に亡くなってしまった。
ばたばたと通夜が終わり、ようやく2人きりになれた夜。
30年間一緒に過ごした甲斐があったと、私の元で月の涙が輝いている。

ジュエリー賞

ペンネーム:あおいほしさん

-約束のダイヤモンド-

保育園の頃の娘は、オモチャの宝石が大好きだった。
家にいる時間だけでは飽き足らず、毎朝好きな指輪をはめ、保育園に入る直前まで身に着けていた。
そんな背伸びをしたい娘に、ひとつ本物のキラキラを見せてあげようと思った私は、ある日妻にプレゼントした婚約指輪を娘に見せてあげた。

「わぁ!」と、勢いよく手を出したので急いで私は娘を抑え、「見るだけだよ」と言った。
「キレイ!なんのほうせきー?」と聞いてきたので、ダイヤモンドだと教えてあげた。
それからどれくらい経っただろうか、娘はずっとダイヤを見ていた。
「着けたい」とか、「触りたい」とかごねる心配をしていたが、ただただ本物のきらめきに娘は圧倒されているようだった。

その日から、私が休みの日には、「ねぇ、だいなみせてー」と毎回せがむようになった。
妻が、「もうダメ!」と言うまでは、ずっと娘は憧れのような眼差しでダイヤモンドを眺めていた。
“警備”していた私は、その輝く娘の瞳が忘れられなかった。
娘は見終わる度に、「ほしーい!」とはしゃいだので、「大きくなったらプレゼントしてあげるよ」とよく話していた。

あれから、10年以上の時が経つ。振り返れば、流れるように時は過ぎ去ってしまったと思う。
その時々は、子育てに悩むことや心配させられることがしょっちゅうあった。
しかし、今は無事に育ったことに望外の喜びを感じる。

娘は、今年の3月に専門学校を卒業して東京に就職することになり、我が家を巣立つことになった。
娘は私との口約束をすっかり忘れていた。
だが、私はあの瞳を忘れられず、ずっとこの時を待っていた。
娘が家を出ようとする時、「これ、ママとパパから」と言って普段使いができるダイヤモンドリングをプレゼントした。

「えっ!何!?ダイヤじゃん!」
驚いた娘は、私に説明を求めた。
私は、幼い頃に宝石が大好きだったこと、特に婚約指輪のダイヤモンドが娘の一番のお気に入りだったこと、私が将来プレゼントする約束をしていたことを全部話した。
気がつくと私は、泣きながら話していた。

すべてを理解した娘は、「ありがとう。これをパパとママだと思って大事に使うね」と涙を拭いて受け取ってくれた。
私と妻は、感無量だった。
娘は去り際、「これからは、私がプレゼントする側だからね!」と言って笑顔で別れた。
プレゼントは貰ったら、返すのが流儀だ。
「まだまだ元気に働かなくちゃな…」そう呟きながら、微笑む自分がいた。

オールジャンル賞

ペンネーム:金犀さん

-寄り添うカギ-

一人暮らしをする僕の家で、些細なパーティーが開かれた。
参加者は僕と彼女の二人だけ。彼女が手料理をふるまってくれて、僕にはもったいないほど幸せな誕生日だった。
そんなパーティーの終盤、「誕生日プレゼント」と言って彼女が僕に渡してきたのはキーケースだった。
黒いレザーのシックなキーケース。

けれど当時、僕らは大学生。キーケースが必要なほど多くのカギを持っているわけではなかったし、几帳面な僕は鍵をなくしてあたふたすることもなかった。

「でも家の鍵くらいしかつけるものないかも」

そう伝えると、彼女は意味ありげにニコニコしているだけだった。

それからお互い社会人になり、彼女も一人暮らしを始めた。
しばらくすると彼女から合鍵を渡された。
ようやくキーケースの中に2つ目の鍵が収まった。
僕の家の角ばった頭をした鍵と、彼女の家の丸っこい頭をした鍵が仲良さげに隣同士で並んでいる。

僕は嬉しくなり、キーケースを揺らしてはコツンコツンとぶつかる2つの鍵を眺めていた。

「キーケースのプレゼントやっぱセンスいいよ」

そう伝えると、彼女はやっぱり意味ありげにニコニコしているだけだった。

彼女と付き合ってから10年が経った頃、僕らは結婚した。
結婚式はあの頃の誕生日会とは比べ物にならないほどたくさんの人が集まってくれて、僕らは本当に幸せだった。
初めての共同作業に、初めての誓いのキス。そのどれもに僕らは目を見合わせてはにかんでいた。

結婚式を終えて、お世話になった人たちへの挨拶も落ち着いたころ、僕らは新居へと移り住んだ。
小さなマンションの一室だが、僕ら二人で選んだ城だ。
一つ屋根の下の生活がようやく始まる。
不動産の職員から真新しい鍵を受け取ったとき、僕はそれを丁寧にキーケースへとしまった。
そこにはもう角ばった鍵も、丸っこい合鍵もない。

「また一つになっちゃったね」

そう伝えると、彼女は嬉しそうに笑った。
「これからもっと増えるわよ。守らなきゃいけないものも増えるんだから」

彼女はまだふくらみの目立たないお腹をゆっくりと撫でる。
その手に僕の手をそっと重ねた。

オールジャンル賞

ペンネーム:桜小町さん

-優しさと笑顔-

その日、私は朝からそわそわしていました。
なぜなら今日は母の日のプレゼントを買いに行く日。
この日の為にコツコツ貯金した千円分の全財産をお財布にしまうと、私は祖父とこっそりでかけました。

母の日と言ったらやっぱりカーネーション、ということで向かったのはお花屋さん。
着くと色々な花が並んでいて私はびっくりしてしまいました。
どれにしようと悩んでいると祖父が笑って言いました。

「ママが笑顔なのはどんな時か思い出してごらん?」
その言葉に私は、母の笑顔を思い出す事にしました。

庭で摘んだ小さなピンク色の花を飾った時。
ワンちゃんと一緒に遊んだ時。
そして、私が初めて手紙を書いて母に渡した時…。

振り返ると、ささやかで温かな笑顔が無数に浮かんできました。
そして私はある花に決め、身長がレジに届かなかったので、全財産を祖父に託して代わりに買ってもらいました。

こうして迎えた母の日。
私は満を持して手渡しました。
その瞬間、母の目が輝き「ありがとう!すっごくかわいい!」と私を抱きしめてくれました。

それは、ピンク色のカーネーションで作られたプードルがカゴに入っているフラワーアレンジメント。
そして、ぎこちないひらがなで書いたカードも添えました。
予想以上の母の笑顔に照れ臭くなりつつ、私も嬉しくて自然と笑顔になっていました。
あの言葉がなかったらこんなに喜ぶ母は見られなかっただろうな、と祖父へ感謝の気持ちも湧いてきました。
喜びが落ち着いた頃、ふいに母が「こんなに高いプレゼント買うの大変だったでしょう?」と心配そうに言いました。
「ずっと貯金してたから買えたんだ!おじいちゃんにきてもらって、一生懸命選んだの。」と得意げな私。
それを聞いて何か合点がいったのか、母は「ずっと大切にするね。」と柔らかな笑みを浮かべていました。

あれから数年後。
ひょんな事から、あの時の話を母としました。
そして衝撃の事実を知ったのです。

全財産の千円で購入したと思っていたプレゼントは実は一万円。
なんと、足りない分は祖父が払ってくれていたのでした。
幼くて0の数を間違えた上に、背が低くてレジの様子に気が付きもしなかった私…。
言葉だけではなく、お金の面でもさりげなく私を助けてくれていた祖父に改めて感謝の気持ちが溢れました。
そして、贈る側・贈られる側だけではなく、プレゼントは関わる人みんなの優しさと笑顔で成り立っているのだと感じました。

おじいちゃん、ありがとう。

オールジャンル賞

ペンネーム:わたさん

-First Present-

今の彼と付き合って、初めての誕生日にもらったプレゼントが忘れられません。

当時は大学生の私と社会人の彼。
都合が合わず誕生日当日には会えませんでしたが、数日して会えることになりました。
そそっかしい彼だから、プレゼントを忘れていてもおかしくないなと思っていました。
そして付き合いたての頃の私は彼に少し遠慮していて、欲しいものをねだったりしませんでした。
でも実は少し前から腕時計が壊れていたので、プレゼントしてほしいとずっと思っていました。

彼に会った日、少し照れながら「プレゼントだよ」と渡してくれた箱。
まずはプレゼントを用意してくれたことに安堵しました。
渡してくれた箱に印字されたブランド名や箱のサイズを見て、もしかしてと私の期待は高まりました。
そして開けてみるとそこには……

ゴキブリが(笑)

「何これ!」と驚く私を見て嬉しそうな彼。
ゴキブリのおもちゃを仕込んでいたのです。
いたずら好きの彼はプレゼントを忘れるどころか、わざわざ偽物のプレゼントまで用意していました。

その後、本物のプレゼントの入った箱を渡され、開けてみるとそこには腕時計が。
腕時計が壊れていたことを知っていたのか尋ねると、驚いたように「知らなかった」と。
彼女の持ち物に気付かないそそっかしさはありますが、知らなかった上でプレゼントしてくれたのなら尚更すごいと感動しました。
私の好きな青色の皮の大人っぽい腕時計は、大学生の私にはもったいないくらいでしたが、すごく嬉しかったです。
女性ブランドの腕時計だったので、きっと慣れないお店にも入ってくれたんだろうなと思いました。
腕時計を選んでくれたことやプレゼントの渡し方まで、その心遣いが嬉しくて、そして何より年上の彼をとても可愛く思いました。

月日は流れ社会人になった今も、私は毎日彼からもらった時計を着けて仕事をしています。
あの頃は大人っぽいと感じていた腕時計も、すっかり私に馴染んできたのではないかと思っています。
仕事で苦しい時も、彼と彼からもらった腕時計が私を守ってくれているように感じます。
こんな話をするときっと自慢げな顔をするので、彼には内緒です。

これからも、プレゼントしてくれた時の思い出と共に、腕時計を大切に使っていこうと思います。